本などで出会った小話27「続・三つの言葉(上)」

『続・三つの言葉(上)』

 

人間の敵って何でしょうか。

また、

なぜいつも私たちの前に敵がいるのでしょうか。

「〇〇がなかったら良かったのに・・・。」

「〇〇はどうして〇〇と私に言うのか。」

 

例えば一般的に敵には、 

学校などでいじめる人や、

職場などでのパワハラ等があると考えます。

 

なぜ、

いじめる人が存在するのでしょうか。

 

 

いじめる人は、

自分が感じていることを

言ったり、

行ったりしているだけで、

いじめる理由を

それほど深く考えていない

のではないかと思います。

 

自分中心で、

相手の気持ちを

あまり考えていないのであって、

ある意味素直とも言えると思います。

 

一般的に、

相手を指摘するとき、

自分自身が言われたことがあることを

言う傾向にあると言われるそうです。

つまり、

自分自身に対して指摘しているのと

同じことだと言うことです。

 

相手のことを気にしすぎる人の傾向に、

他に大事なものがない人、

趣味を持っていない人、

自宅では何もしない人、

信条や信仰などが無い人など

特徴があると思います。

 

今見えている目の前の世界がすべてであり、

将来や他に目が向けられないのだと考えます。

 

 

書には

顔が、水に映る顔と同じように、人の心は、その人に映る。

箴言27章19節)

 

 

また、

 

良い人は、その心の良い倉から良い物を出し、

悪い人は、悪い倉から悪い物を出します。

なぜなら人の口は、

心に満ちているものを話すからです。

人は心にあることを話すからです。』

(ルカ6章45節)

 

心に無いことは話せません。

自分が大事にしている事、

気になっている事で

心が一杯ということです。

 

もし趣味や配偶者・恋人、

信仰など大事にしていることを

持っているとすれば、

目の前のことでいらだちを感じる前に、

大事にしていることの方が、

気になるはずです。

 

相手のミスなどに、

いちいち気にしてられないと思います。

 

 

 

私の周りの人では、

趣味を大事にしている人ほど、

その趣味と同じくらい仕事の知識が豊富で、

また、

その趣味と同じくらい仕事ができます。

プライベートを大事にする人ほど、

人との関わり方も素晴らしく方が多いと思います。

 

 

しかし、

そうは言っても現実に

敵が存在する以上、

関わりをゼロにはできません。

 

 

どうすれば良いのでしょうか。

 

(上)は、ここまでです。

続きは、(中)で説明します。

yui 

本などで出会った小話26「三つの言葉(下)」

『三つの言葉(下)』

 

ではなぜ、

私たちは他人と比べて自分を見てしまうのでしょうか。 

 

それは、

同じ人がいないからです。

 

そして、

互いに支えあうために違うのです。

 

自分が持っているものをあたえるためです。

私たち一人ひとりは、

神の力に依存せずに生きられないのと同時に、

この世に生を受けたときから、

他者の支えがなくては生きられません。

必ず誰かの支えの元で生きているのです。

 

 

聖書には、

寄るべのない者に施しをするのは、

主に貸すことだ。

主がその善行に報いてくださる。

箴言19:17)

 

自分がいま持っているものこそ

恵の始まりであり、

それを与えることで

更に恵が与えられるのです。

 

一人ひとりは違って良いのです。

もし、

満ち足りていなければ

神に求めれば良いのです。

「求める者は、与えられます。」

 

それは分かっていても

いざ自分の敵を前にすると

上手く行かない。

人間の敵って何でしょうか。

 

 

 

『三つの言葉(下)』は、

これで終了です。

次回、『続・三つの言葉(上)』へ続きます。

yui

 

本などで出会った小話25「三つの言葉(中)」

『三つの言葉(中)』

 

ところで、

人の価値って一体何でしょうか。

 

名門大学に入って立派な成績をおさめ、

沢山の知識を持つことが、

人の価値を高めるのでしょうか。

 

多くの事業を起ち上げて、

沢山お金を稼ぐ人が素晴らしいのでしょうか。

 

発明品を世に出して人から賞賛を浴びることが

他者よりも優れていると言う事でしょうか。

 

多くのファンを持つタレントが

他の人の意見より正しいのでしょうか。

 

その様な方々と私との価値に

違いがあるでしょうか。

 

 

価値の違いは何一つありません。

むしろ

生きているすべての人

一人ひとりに価値があり、

高価です。

 

たとえ

人の目には、高価に見えなくても

造り主である

神は、聖書に

神が私たちに対する思いを

わざわざ書いて示してあるのです。

 

『わたしの目には、

あなたは高価尊い

わたしはあなたを愛している。』

(イザヤ43:4)

わたしとは神であり、

あなたとはすべての人のことです。 

誰一人、価値のない人はいません。

何もないことと、

価値がないことは

同じではありません。

 

そうは言っても、

頑張っているのになぜ・・・。

私はどうして失敗ばかりするのか・・・。

私はなぜこの世に生まれたのか・・・。

 

など、

疑問がある方もいると思います。

 

ではなぜ、

私たちは他人と比べて自分を見てしまうのでしょうか。

 

 (中)は、ここまでです。

(下)へ続きます。

yui

本などで出会った小話24「三つの言葉(上)」

『三つの言葉(上)』

 

グリム童話に「三つの言葉」があります。

伯爵はできの悪い息子を

どうにかしようと、

名高い先生方に学びに行かせました。

それらの学びで息子が得てきたものは、

犬、鳥、蛙と話せる言葉でした。

伯爵は、

動物の言葉しか覚えてこなかった事に対して

腹を立ててしまい、

家から息子を追い出してしまいました。

家を出された息子は、

その言葉の使って問題を解決したりしました。

また、聖職(立派な職業)に任命されるまでにもなりました。

 

この物語の父親は、

息子に対して自分と同じように

勉強して沢山の知識を得て

立派になって欲しいと

思っていたのかもしれません。

また、

自分とは違う世界に住む人を否定している

とも言えると思います。

更に、

自分と同じように立派にならなければ

価値が無いと思っていたのかもしれません。

だから、

自分の様な知識を持たない息子を

息子として相応しくないと考え

家から出したのでしょう。

 

 

ところで、

人の価値って一体何でしょうか。

 

 (上)は、ここまでです。

(中)へ続きます。

yui

 

手段が目的を正当化する時代 下

『手段が目的を正当化する時代 下』

 

 

人が決めたルールや行いを確実に守り

行動できることも大切ですが、

社会で求められている人材は、

それだけではないと思います。

 

聖書には、

しもべが言いつけられたことをしたからといって、

そのしもべに感謝するでしょうか。

あなたがたもそのとおりです。

自分に言いつけられたことをみな、

してしまったら、

『私たちは役に立たないしもべです。なすべきことをしただけです』

と言いなさい。」(ルカの福音書17章9節~10節)

 

重要なのは、

盲信せず、

存在するルールや決まりの陰に、

絶対に守らなければならないのは、

何かを

悟り実行することが、

重要だと思います。

 

yui

 

 

各週でブログを更新していますが、

来週と8月各週分については、

お休みします。

 

 

お詫びです。

2019年6月24日に公開した

「日焼けしなかったジャマイカ」で、

紫外線の説明をしましたが、

地上に到達するのは、

UV-Cではなく、

UV-Aの間違いでした。

また、浴びると危険な方は、

UV-Aではなく、

UV-Cの間違いでした。

間違った情報を公開してしまいごめんなさい。

しっかり勉強して調べて取り組みます。

yui

手段が目的を正当化する時代 中

『手段が目的を正当化する時代 中』 

 

交通ルールを

守っていても事故は発生します。

 

信号待ちをしていた園児達に、

車が突っ込み死傷者が出た事故は

記憶に新しいことと思います。

 

交通安全の確保は、

ドライバーや歩行者等

その交通路を利用するすべての者が

努力することです。

 

特に、車などの乗り物は、

それ自体が凶器となり得るため、

速度を増すごとに危険度は高まり、

それを操作する者の

交通安全責任度合いは増加します。

 

反対に、

交通安全が確保されていれば

極端に言えば、

何をしても良いと思います。

 (ルールを堂々と破って良いと言っている訳ではありません。)

 

それが証拠に

・車がほとんど走っていない田舎の交差点にはあまり信号機が無く、

円滑な交通の流れの保持は利用者に委ねられています。

また、

・交差点が無く、普通歩行者がいない高速道路では、

最高100km/hまで速度を出すことができます。

 

中はここまでです。下に続きます。

yui

 

手段が目的を正当化する時代 上

近頃、手段が目的を正当化して時代となっている様な気がします。

手段が目的を正当化する時代とは何か、

また、それを知り今、

どうあるべきかを考えてみようと思います。

3回に分けて書きます。

 

 『手段が目的を正当化する時代 上』

 

真夜中の交差点で、他の車が全くいない状況の中、

信号が”赤”なので止まる。

 

信号機は、

道路交通の円滑な流れを保持することが

目的で設置されていて、

それ自体は、

交通安全を維持するための手段の一つに過ぎません。

 

 

しかし、

信号無視をすると、

ルール違反者として警察に検挙されてしまいます。

 

そうなるのは避けたいため、

信号機の指示を守ること自体が目的になり、

交通ルールを守ってさえいれば、

「安全が確保される」

という風に誤解を招いている恐れもあります。

 

 

上はここまでです。中に続きます。

yui