本などで出会った小話23「小さな仕事の花(下)」

『小さな仕事の花(下)』

 

小さな仕事の花(中)からの続きです。

 

私達は、どんなに努力しても

自分の思うまま未来を絶対的なモノに

作り出す事はできません。

結局は、人事を尽くして天命を待つしかありません。

 

なぜなら、

私たちの肉体は100%滅びるからです。

そして、それをいつ失うかは

基本的に誰も分からないからです。

 

 

私達は、

どんなにすごいことをしても

どんなに大きな家を建てたとしても

どんなに巨万の富を築いても

結局は、霧の様に消えて行きます。

 

「すべての人は草、

その栄光は、みな野の花のようだ。

主のいぶきがその上に吹くと、

草は枯れ、花はしぼむ。

まことに、民は草だ。

草は枯れ、花はしぼむ。

だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。」(イザヤ40章6節~8節)

 

 

神は、人々のおごり、高ぶりを嫌います。

そう言う人々は、そうする事で失います。

私も経験しました。

なぜなら、

私たちの努力に応え、叶えてくださったのが

神であるからです。

そのことに感謝すべきなのです。

 

努力することを無駄だとは言いませんが、

願いを叶えるのは、

神であることは知っておくべきです。

 

だから人々は、

「〇〇に合格しますように・・・。」

などと

祈るのだと思います。

それが自然な事であって、

すべての人は

そのことを最初から知っているのだと思います。

 

私たちは種を植え、

水を与える小さな仕事をしたとしても、

日光を与え、

雨を降らせ、

花を咲かせて実を結ぶばせるのは、

神であることを。

 

小さな種に水を与える様な

弱いモノに与える心こそ、

神が喜ぶことです。

 

 

神はその心と行為に応え、実を結ばせるのです。

 

 

「もし、あなたがキリストの復活を信じるなら、

あなたは神の栄光を見ることになります。

 

 

 

 

 

 

このことを信じますか。」

 

『小さな仕事の花』はこれで終わりです。

yui

(月曜日をUP目標にしています。)