人生と夢

『人生と夢』

 

目が覚めると

どんなに楽しくても

どんなに美味しくても

いつの間にか忘れてしまいます。

 

また

どんなに恐ろしくても

どんなに悲しくても

どんなに辛くても

すべて嘘のようで何も変わりません。

 

でも、

その時の心や感情だけは

起きても残っています。

 

人生も夢と同じように

どんなに楽しくても

立派な家を手に入れても

多くの宝を蓄えても

天に何一つ持っていくことは出来ません。

 

でも、

もしかしたら、

亡んだ後、夢と同じように

一生の間で得た心や感情は

持っていけるのかもしれません。

 

実は、

天に持っていけるものを

聖書にははっきりと書かれてあります。

 

『こういうわけで、

いつまでも残るものは

信仰と希望と愛です。

その中で一番すぐれているのは愛です。

(第1コリント13章13節)』

 

この世と天とにとって

共通したもっとも価値あるものです。

 

なぜなら、

 『私たちは、見えるものにではなく、

見えないものにこそ目を留めます。

見えるものは一時的であり、

見えないものはいつまでも続く

からです。

(第2コリント4章18節)』 

 

本当に大切なものは

目に見えないものにこそ存在するのです。

どんなに立派な行いをしても、

どんな事をして世界を救ったとしても、

どんなに多くの人を助けたとしても、

目に見えないものの中に存在しているのです。

 

 

『私たちは、

この望みによって救われているのです。

目に見える望みは、望みではありません。

だれでも目で見ていることを、

どうしてさらに望むでしょう。

(ローマ8章24節)』

 

 

また、

『信仰によって、私たちは、

この世界が神のことばで造られたことを悟り、

したがって、

見えるものが

目に見えるものからできたのではない

ことを悟るのです。

(ヘブル11章3節)』

 

目に見えないものだけが大切だとは、

聖書は言っていません。

そう言ってい仕舞うと、

目に見える世界を創った理由が無に帰します。

 

『神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、

その人は偽り者です。

目に見える兄弟を愛していない者に、

目に見えない神を愛することはできません。

(第1ヨハネ4章20節)』

 

今、生きて生活していて

見えない神、

見える隣人を共に愛を実践することを

大事にしたいです。

それは

どんな場所でも今すぐにできます。

その心を育てることを

一番大切にしてこれから

生きていきたいです。

yui